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奈良時代には、渡来人により海外から多くの文化や技術が伝わりました。
天平宝字2年(758年)に、武蔵国に新羅人を移して「新羅(しらぎ)郡」が置かれたことが「続日本紀」という書物に書かれています。新羅郡は朝霞周辺にあったと考えられており、平安時代には「新座(にいくら)郡」と名称が改められました。
この頃の集落が市内全域で確認されており、古墳時代に引き続き、多くの人々が生活していたことがわかっています。
岡と根岸台で見つかった集落では、竪穴住居の他に、庇付の掘立柱建物跡という特殊な建物や、当時の貨幣などが発見されており、「新羅郡」の役所に関連するものと考えられています。