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江戸時代の中頃から、新河岸川を利用した舟運が本格的に始まりました。江戸と川越を結ぶ新河岸川の舟運では、江戸へ年貢米や農作物が送られ、江戸からは肥料などが送られてきました。舟運は、大消費都市・江戸への野菜などの物資提供に貢献したばかりでなく、戻りの舟で運ばれてくる肥料がこの地域の農業生産を支えることとなり、その後、明治時代に最盛期を迎えることとなりました。
根岸河岸から江戸へ送られた荷物
市内には、宮戸河岸、浜崎河岸、根岸河岸、台河岸、井口河岸の5つの河岸場があり、年貢米や大根・人参などの野菜、小麦粉などの粉類が江戸へと送られ、江戸からは糠や下肥などの肥料が送られてきました。
また、江戸時代後期には、黒目川の豊富な水量を利用した水車が設けられ、米つきなどが行われました。膝折村周辺では、水車動力を利用して、熱した銅のかたまりを細い針金状にする伸銅業が始められました。
伸銅業は、時代の変化とともに動力を水車から電気に変えながらも、朝霞の地場産業として盛んに行われ、関東における伸銅工業の発祥の地として栄えました。
昭和30年代の伸銅工場