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4世紀頃、日本の各地にできた大きな集落は、共同作業や争いを経て互いに結びつき、やがて集落からクニへと発展していきました。クニでは、集落の有力者の中から、さらに強い力を持つ指導者が現れ始めました。
こうした指導者たちは、自分の力を誇示するように、土を高く盛った古墳を築きました。古墳には、家や馬、人物などをかたどった埴輪が飾られ、鏡や馬具などのさまざまな貴重品とともに埋葬されました。
朝霞市内では、岡や根岸台、浜崎に古墳が築かれました。柊塚古墳や、 鏡や武具などが見つかった一夜塚古墳、横穴式石室を持っていたとされる八塚古墳などです。
柊塚古墳は6世紀前半に築かれたと推定され、これまでの調査で2基の埋葬施設が見つかっているほか、 家形埴輪、馬形埴輪、円筒埴輪が出土しています。埼玉県指定史跡に指定されており、「柊塚古墳歴史広場」として整備し、身近に古墳を見学できるようになっています。
柊塚古墳から出土した家形埴輪
一夜塚古墳は、現在の朝霞第二小学校の敷地内にあった古墳です。昭和の始め頃まで墳丘が残っていましたが、学童疎開児童の増加により、小学校の敷地を拡張するため、昭和18年(1943年)に取り壊されました。その際に、鏡や武具などが出土し、「一夜塚古墳出土遺物」として朝霞市指定有形文化財に指定されています。
昭和初期に撮影された一夜塚古墳
一夜塚古墳から出土した鏡