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ふるさと朝霞の歴史~稲作のはじまり

稲作のはじまり

 約2千4百年前、九州で稲作が始まりました。この新しい技術は、金属器(鉄器・青銅器)と一緒に中国から朝鮮半島を経由して日本に伝えられたものでした。
 特に稲作は、人々に豊かで多くの食糧をもたらしました。この新しい文化は、日本全国に広がり、これまでの狩猟・採集中心の生活から、稲作中心の生活に変わりました。
 市内にも稲作が伝わり、河川沿いの台地の小さな谷が水田となり、岡や根岸台には大きな集落が営まれました。この集落では、 弥生土器 、多彩な 石器 や当時貴重であった 鉄製品 が使われ、周辺を代表する中心的な集落であったようです。
 こうした集落は、水の管理など、稲作を通じて、共同作業することがありました。また、稲作を行う土地や水をめぐって、集落同士の争いも起こりました。

弥生土器(浜崎で出土した弥生土器)
弥生土器(浜崎で出土した弥生土器)

鉄製品(岡で出土した鉄斧)
鉄製品(岡で出土した鉄斧)

石器(岡で出土したさまざまな石斧)
石器(岡で出土したさまざまな石斧)

 やがて、こうした共同作業や争いを通じて、集落内には人々を指揮する有力者が生まれました。こうした有力者が亡くなると、 方形周溝墓 と呼ばれる墓に 鉄剣銅釧 などと一緒に埋葬され、集落の人々との間に格差が生まれたことを示しています。

方形周溝墓(宮戸で確認された方形周溝墓)
方形周溝墓(宮戸で確認された方形周溝墓)

鉄剣(岡で出土した鉄剣)
鉄剣(岡で出土した鉄剣)

銅釧(岡で出土した銅釧)
銅釧(岡で出土した銅釧)