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ふるさと朝霞の歴史(2)稲作のはじまり

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 記事ID:0095039 更新日:2020年3月25日更新

稲作のはじまり

約2千4百年前、九州で稲作が始まりました。稲作は、鉄器・青銅器といった金属器とともに、中国から朝鮮半島を経由して日本へ伝えられ、人々に豊かな実りと多くの食糧をもたらしました。この新しい文化は日本全国に広がり、それまでの狩猟・採集中心の生活から、稲作を中心とした生活へと変わっていきました。
朝霞市内にも稲作が伝わり、河川沿いの土地や小さな谷などが水田として使われるようになり、岡や根岸台には大きな集落が営まれました。この集落では、弥生土器や多彩な石器、当時貴重であった鉄製品が使われ、周辺を代表する中心的な集落であったようです。
こうした集落は、水の管理など、稲作を通じて共同作業することがありました。しかし、一方では、稲作を行う土地や水をめぐっての集落同士の争いも起こりました。

浜崎で出土した弥生土器
浜崎で出土した弥生土器

岡で出土した鉄斧
岡で出土した鉄斧

岡で出土したさまざまな石斧
岡で出土したさまざまな石斧

こうした共同作業や争いを繰り返す中で、集落内に人々を指揮する有力者が現れました。有力者は、亡くなると方形周溝墓と呼ばれる墓に金属器などの貴重品とともに埋葬されることから、集落内の他の人々との間に格差が生まれていたと考えられています。
朝霞市内でも方形周溝墓が確認されており、こうした有力者が存在していたことがわかっています。

宮戸で確認された方形周溝墓
宮戸で確認された方形周溝墓

岡で出土した銅釧
岡で出土した銅釧