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市長コラム平成19年12月 「偲(しのぶ)」

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 記事ID:0001519 更新日:2007年12月1日更新

平成19年12月 「偲(しのぶ)」

 皆さんこんにちは。
 市長になり3回目の年の瀬を迎えました。慌ただしいまでに毎日が過ぎ去っていくためか、一年がとても短く感じられます。しかし、忙中閑ありといわれるように、忙しいときでもちょっとした時間は作れるものですし、また忙しい人ほど時間を上手に使えるそうなので、私もリフレッシュタイムを多く取れるよう、工夫したいと思います。
 さて、去る10月21日に、朝霞市名誉市民であり元朝霞市長の渡邊源藏氏が93歳で他界されました。渡邊名誉市民は、昭和22年に、朝霞町議会議員に初当選し、議長を含め17年余り議員としてご活躍された後、昭和40年に町長となられました。以来、昭和42年3月15日の市制施行を挟み、平成元年までの6期24年間にわたり、町長および市長として、市政を推進されました。くしくも、今年は本市の市制施行40周年に当たりますが、もし渡邊名誉市民を知らない市民の方がいたとしたら、市制施行後今日までの市政の半分以上を担われたこと、特に昭和時代におけるただ一人の朝霞市長であったとご紹介すれば、その存在の大きさがわかるのではないでしょうか。
 この間、市制の施行をはじめ、朝霞台駅・北朝霞駅周辺の北朝霞土地区画整理事業の着手・完成、米軍基地跡地の返還や図書館、総合体育館などの建設、小学校5校、中学校4校、公民館5館の新設などを行い、さらに今年完了した朝霞駅南口広場を含む広沢土地区画整理事業に着手するなど、本市の都市基盤整備の大半にかかわっておられます。多分そこには、気力面・体力面で、想像を絶するような状況があったことと思います。しかも、現在でも全国に誇れる健全財政の基盤を構築され、市政を運営されたことは、渡邊名誉市民の洞察力、決断力によるものであり、その功績に心から敬意を表したいと思います。
 このまちを良くしたいという同じ思いで今、私は市政運営のバトンを受け継いでいます。まだまだ及ぶところではありませんが、これからも歴代の市長の方々が心血を注いで築かれたこの朝霞市の発展に尽くす決意であることを渡邊名誉市民にお誓いし、心からご冥福をお祈り申し上げます。
 それでは、また。

 朝霞市長 富岡 勝則