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市長コラム平成19年3月 「歳(とし)」

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 記事ID:0001528 更新日:2007年3月1日更新

平成19年3月 「歳(とし)」

 皆さんこんにちは。朝霞市長の富岡です。
 今年の冬は、地球温暖化の影響もあってか、驚くほど暖かい日が続きました。この分だと、例年より一足早く、卒業シーズンには市内の桜も満開になってしまうような気がします。
 さて、本市は、本年3月15日(木曜日)に、市制施行40周年を迎えます。この間、多くの方々のご尽力により、今ある朝霞市が築き上げられてきたことは言うまでもありません。私は、その一方で、多くの方々が朝霞市に守られ、支えられながら成長してきたと思っています。私自身が、このまちで生まれ育ち、このまちとともに歩んできた者であり、朝霞市に対する感謝の気持ちが人一倍強いからこそ感じることかもしれません。
 ところで、昭和42年当時を振り返ってみると、急激な人口増加とともに発展を続けている時代であったと言えます。昭和42年1月1日現在の人口は、約5万5千人と、今日の半分弱でしたが、年間3千~4千人程度増加している状況にありました。
 当時の学校建設をみると、昭和41年に朝霞第二中学校が、さらに昭和42年には朝霞第五、朝霞第六小学校が相次いで開校しており、そのすさまじさを物語っています。しかし、開発はまだそれほど進んでおらず、のどかな田園風景がまちの多くを占めていました。
 当時私は朝霞第一小学校の6年生で、学校まであぜ道を歩き通学していたのですが、冬になるとよく霜柱が立ち、それを「ザクザク」とわざと踏みながら通ったことが思い出されます。さらに、自宅付近の山には多くの緑があふれ、近くに流れる黒目川で、たくさんの魚を見ることができ泳ぎもしていました。
 今日では、大方の道は舗装され、黒目川も治水の関係から土手が改修されるなど、大きく変化しています。しかし、まだまだ朝霞にはたくさん自然も残っており、良好な環境が保たれていると思います。
 これからも市民の皆さんと力を合わせ、このような環境をできる限り生かしながら、朝霞市をより住みやすいまちにするとともに、私自身もこのまちとともにさらに成長していきたいと思っています。
 ではまた。

朝霞市長 富岡 勝則